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きのこねじり
2024/05/08(Wed)
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2017/11/01(Wed)
すっかり忘れていて今ふと思い出したこと。

小学校低学年のとき、図工の時間で紙粘土の魚の置物をつくった。集めてたビー玉やらおはじきを目とか鱗にたくさん埋め込んだやつ。記憶はおぼろげだけどよくできていたと思う。
通っていた学校は生徒が少なく、全学年ひとクラスずつしかなくて、教室の隣に予備の空き教室があった。机を使わない授業のとき移動したり、図工の作品を保管したりする。その紙粘土も乾かすために、日の当たる窓辺の床に並べてた。
ある日乾き具合を見に行くと、ビー玉がいくつか外れている。落っこちたかな?と教室を探してみるけど見つからない。次の日見に行くと、さらにビー玉はなくなっている。きれいに剥がされていて本体は壊れてなかったけど、深く埋めていたものまでなくなっていくのはさすがに不自然なので、先生に相談してみた。
先生は空き教室にクラス全員を集めて、犯人探しはせず、作品が壊された、人がつくったものを壊すのはよくないという話をしてくれた。たしか。そこで自分の受けた仕打ちを改めて捉え直して、かなしいのか悔しいのかで泣いてしまった気がする。人前で泣いた数少ない経験のひとつだと思う。以降誰かの図工の作品が壊されることはなかった。
当時いじめという概念がなかったのもあるけど、ビー玉がほしくて誰かが持ってっちゃったのかなあくらいにしか考えてなくて、嫌がらせの可能性に全然気づかなかったあたり、なんてハッピーな子どもなんだ…と思う…。
まあ結局犯人は知らないままだし、思い出したというだけの話でオチはない。自分は事態の飲み込みがよくないことがあるので、ときに他者のほうがかなしみをうまく語れたり、言葉にすることでそれに見合う感情を繕っちゃってるところがあるなあ、と思った。
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